31歳になりました。

31歳になりました。

 

どうもこんにちわ、INAZOOです。

 

本日、晴れて?いや、だいぶサイレントに31歳になりました。そこで、備忘と抱負を込めて記事化します。但し、僕が31歳になったことなど、正直誰も得しないそよ風情報なので、できる限りこの1年で起こったことや、次の1年に向けた抱負を客観的な目線で、同世代であれば微かに参考になる程度の情報としてアウトプットできればと思っています。

 


 

30歳を振り返って

まず、昨年の11月に30歳になってから起きたことを列挙します。結論から言うと、30歳というアニバーサリーイヤーに、人生最大にして最悪の経験をしたことは言うまでもありません。はい、「飲酒運転を犯し、逮捕」です。基本的には、今年の1月に逮捕されてから、大きく僕の生活や人生が良くも悪くも動き出しました。

 

何でお前捕まった!?カスやん!って思った方は、こちらから事の経緯をご確認ください。僕自身、このXデーを決して風化させてはならないと思っており、31歳になった今、改めて肝に銘ずるためにもリンクをブチ貼っておきます。

 

改めまして、このときにご迷惑をおかけした皆さま、そして裏切ってしまった家族、本当にごめんなさい。

 

こんな人って飲酒運転しがち。

 

では、時系列で30歳の僕に起こったトピックを記述していきます。

 

4回目の転職未遂

さて、昨年の11月に30歳に突入し、これといった実感や危機感を感じることもなく、音もなく三十路ボンバイエに乗ったわけですが、やはり、最愛の妻と結婚をして早2年、かわいい息子(当時1歳)にも恵まれて、これからの自分と家族の幸せを考えると、経済的にももっと頑張って、妻や息子により多くの選択肢を採れるようにサポートしてあげたいと思い、12月頃から転職活動を始めます。

 

僕は現在、沖縄県にある総合広告代理店(一応、総合・・・といった程度)でプランナーとして官民問わず様々なプロモーションの企画を行っています。しかし、バカな経営者の経営怠慢で、給与は都内の新卒以下という燦燦たる実状・・・。

 

ここで補足です。今の会社に入社した動機は「プライベート最優先」に傾倒するためでした。息子が生まれたことで、定時で帰宅したり、深夜残業や休日出勤もなく、可能な限り家族にfullコミットしたい、という思いから、給料そっちのけで現職を選択しました。まぁそれが何よりも優先すべきだと思っていますし、これからもこのスタンスは変わりません。

 

おいおい、ちょっと待て!と思った方もいるかもしれませんが、広告代理店と聞くと、激務なイメージですよね。しかし、そこは沖縄、僕の場合は上長などにも恵まれて、恐ろしくワークライフ・バランスを満喫することができています。但し、軽く触れた通り、給料だけが圧倒的に安い。そして、昇給する気配がない。というより、次長以上の40代のレンジの社員が、沖縄移住前の僕よりも年収が低いという始末・・・。故に給料への野望はこの会社では持てません。

 

ということで、二転三転というか、計画性のなさというべきか、結局のところ“お金”の問題にぶち当たり、転職せざるを得ない状況になり、転職活動を始めました。転職活動は主に、ビズリーチを活用していました。というのも、レコメンドされる企業やスカウトの数が他のサービスより多く、一時的に特典でプレミアム会員待遇で利用できたためです。

 

基本的には、ビズリーチ宛に届く、企業からのスカウトやエージェントの面談依頼などをチェックしていき、ここなら話してみようかな・・・とか、文才の光るエージェント等のみ厳選し、面談を実施していきました。

 

ちなみに、具体的には次のような業界を実際に受けました。新卒時の時から共通してますが、とりあえずエントリーを乱発するのが僕の転職スタイルなので、今回も例によって、業界や応募条件などに観栄えなく乱発しました。

 

戦略系コンサル・ファーム

BIツールベンダー

ソフトウェアベンダー

広告代理店

デジタル・エージェンシー

 

意図としては、「沖縄移住や第一子誕生を機に失ったキャリアを、本流に戻し再構築する」というものでした。つまり、年収や成長環境という基準を度外視にし、家族へのfullコミットを最優先にしていたスタンスから、再び年収や将来的なキャリア優先という視点に舵を切り直したということです。これは、当然のことながら、物理的にも沖縄という環境から東京などを視野に入れ直す、という選択肢も含んでいました。30歳にして実に迷走していますよね、本当、自分でもそう思います・・・

 

再びキャリア優先で転職活動を行うとなると、やはり、東京で働いていた時の経験や社歴(SIer営業としてのキャリア)が光る部分が当然のようにありました。しかし、沖縄移住で経験したことは決して無駄になっていたわけではなく、沖縄での経験によって、先述したマーケティング業界に関するキャリアへ意欲が高くなったのも事実です。そのため、一部、ソフトウェアベンダーなども選考企業に入れましたが、それはあくまで保険であり、過去の自分のキャリアや経験ベースで、自分の市場価値を担保できる業界として、選択肢に入れていた、といったニュアンスでした。

 

つまり、やりたいことは、マーケティング分野だけど経験も浅く、給与レンジは普通。一方、直近で人材価値として高い金額を提示してもらえるのがSI業界、といった構図が僕の転職活動の特徴でしたね。

 

そのため、実際に内定がもらえた企業は、教育系に特化したソフトウェアベンダーでした。ちなみに選考過程としては、序盤はSkypeで面談をして、最終面接あたりの企業側が旅費を負担してくれるフェーズになったら、東京に行って面接を受ける、といった流れを採っていました。そもそも、お金ないですからね;;

 

こうして、年収ベースでは今よりも飛躍的に上がる保険たる転職先を抑えた状況で、じっくりとマーケティング系の企業を受け始めます。また、そのプロセスでどうしても避けられなかったのが、戦略系コンサル・ファームでした。

 

もちろん、MARCHレベルの中堅大学卒業のノーマルリーマンたる僕が、コンサル・ファームで求められるような地頭力を持っているはずもなかったわけですが、この過程で出会ったコンサル・ファーム専門の転職エージェントの担当者の方に大いに救われました。

 

結論からいうと、どこのファームからも内定をもらっていないのですが(正確に言うと、どこも受けなかった)、受けるために教えていただいた、書籍とか思考法、キャリアの棚卸方法等が本当に僕の人生を変えました。今の僕の働き方や物事の考え方を作っているといったも過言ではないくらい、この出会いは大きな影響を与えてくれました。

 

この辺のコンサル受験用の書籍については改めてブログで紹介します。正直コンサルを受けなくても、マーケティングや営業をする上でもとても有効な思考法だと思います。まさに、30歳で訪れた青天の霹靂だったので。

 

とまぁ、紆余曲折ありましたが、結局先に述べた、ソフトウェアベンダーへの入社を決めました

 

 

社畜時代
え?ww

話の流れおかしくね?

 

 

というのも、妙にこの会社の社長が偉そうで癪な存在だったんですが、僕という人間を弱みも強みも含めて一瞬で見抜き、その見抜き力みたいなところに感服したのが決め手でした。なんか、この人の会社でやってみたい的な・・・。いや本当に結構悩んで決めたわけです。それ以外で進んでいた選考もお断りしての決断だったので、他が決まらなかったから仕方なしに、というわけでもないです。

 

また、そういった会社や経営者としての魅力以上に、この会社を選択した最大の理由は、「沖縄勤務」だということでした。やはり、僕には沖縄から出て家族で暮らす、という選択肢がとれませんでした。

 

というのも、妻は沖縄生まれ沖縄育ちであり、息子は普段から妻のお母さんに見てもらっています。この状況を妻はとても心地よく感じているはずと僕は思っていたので、何よりも彼女や息子の生活のし易さやストレスのない環境で暮らしたい、というのが一番の選択基準だということに行きつきました。

 

要するに、給与レンジを上げて、かつ、沖縄で生計を立てる、これが最適な選択だったというわけですね。

 

しかし、結局はこの会社への転職も実現しないことになります。続きは次項で・・・

 

逮捕

30歳という記念すべき年に、僕は逮捕されます。

 

罪名は「酒気帯び運転及び事故不申告」です。一重に自分の甘さが全ての原因になります。僕には、妻と息子がいます。二人は僕にとって宝物であり、生きていくうえで必要不可欠な存在です。それは言うまでもないことですが、改めて、自分の犯した罪を受けて、この思いはより一層強くなりました。

 

というより、こんなことをしでかしても尚、見捨てないでいてくれた妻にはもはや頭が上がらず、申し訳ない気持ちしかありません。そして、僕にチャンスをくれて、再度信用してくれた妻と、僕を未だ「パパ」だと思ってくれる無邪気でかわいい息子を、もう二度と裏切りたくない、という思いが、今現在どんな感情よりも真っ先に浮かぶ心情です。

 

しかし、こういった思いや決意も、口に出すだけでは事足りませんし、意味はありません。また、行動で犯してしまった裏切り行為は、これからの継続した行動でしか償うことはできません

 

この一件で、僕は何よりも、どんな言葉や決意表明よりも、行動で示そうと心に誓いました。

 

思い返せば、最初の勾留期間である3日間を終え、留置所4日目の朝に面会に来てくれた妻の表情を見て、その未だかつてないくらい不安な表情と心細い思いを感じ取れば取るほどに自分を悔やみ、犯した罪深さを実感しました。

 

そして、こんな僕に対して、「これから3人で、また頑張ろう。」と妻は言ってくれました。

 

僕は、猛烈に情けなく自分で自分をボコボコにしてやりたいくらいの怒りを覚え、その日から釈放されるまでの日々を、これからどうやって妻に、そして家族へ償うべきかを自問自答して過ごしました。この15日間の勾留期間は、一生忘れることのできない苦痛です。むしろ、決して忘れてはいけません。具体的には、毎晩、妻がいなくなったり、他の人と結婚をしてしまう夢を見て、恐怖と寂しさで夜中に起きる、こういった日々を過ごしました。それ故、頭の中で考えることが具現化されたり、実際の行動に示していかないと、不安で不安で仕方がないような習性が自然と身に付きました。

 

留置所って、本を読んだりご飯を食べたりする以外、本当に何もすることがないわけです。もう1日が途方もなく長い。いわば、精神と時の部屋の如く、“考える”ことが無尽蔵にできるのです。そうなると、どうやって今後家族を幸せにしていこうか、と瞑想することは容易いのですが、如何せん塀の中、実際の行動がとれないもどかしさ、形にならない思いへの苛立ち、こういった感情が日に日に強くなっていきました。そういった理由からでしょう、行動しないと落ち着かないのです。むしろ、出所後は、行動することの喜びみたいなものすらあります。

 

しかし、こういった苦痛の日々や臨界点ともいうべき経験をいつまでも悲観して、自虐的に捉えていても前進はしませんし、妻や息子を幸せにすることなどできません。そのため、こういった経験や思いを妻や家族を幸せにするためのエネルギーに変えようと決意しました。また、あの事件への謝罪の気持ちや後悔の念は忘れなくとも、逮捕以前と以後では計り知れないくらい、妻や息子の人生への責任や守りたいという気持ち、そして二人への思いが大きくなったことも確かです。

 

この決意と二人への思いを糧に、僕は行動で示し、行動によって最強の家族を作っていくことを誓います。

 

免許を失い、夢と目標を手に入れる

先述した通り、妻の優しさにより、僕は人生で一番大切なものを失わずに済みました。むしろ、失っても仕方がないことをしたと思っています。

 

また、とても恵まれていたのは、家族だけに非ず、職場(現職の広告代理店)の上司でした。職場の上司と先輩は、勾留中に一度面会にきてくれました。その時は、逮捕される前に進行していた案件のステータス、現状の報告などを、ごく自然に今でも当たり前のように会社の一員かのように接してくれました。

 

先述したように僕は、自分の計画性のなさ故に入社しては、転職先まで決めていたような人間です。しかし、そんな僕に、引き続き会社で働いて欲しいと言ってくれた上司には感謝しかありません。僕は、家族に救われ、経済的な面では会社もっと言えば上司に救われたのです。言うまでもないことですが、転職先として内定をいただいていた会社は、内定取り消しとなり、白紙となりました。そのため、現職の会社から引き続き雇用されることは僕や僕の家族にとっても大きな救いでした。

 

正直、控え目に言っても良い会社とは言えません。しかし、そこで働く人はとても素晴らしい会社だと思っています。本当にありがとうございます。とはいえ、上司だけでなく、普段は死ぬほど嫌いな社長にも感謝しなくてはいけません。というのも、一発懲戒免職を言い渡されても文句の言えないことをしでかした僕に対し、3箇月の減給10%という処分に留めてくれたということに関しては、感謝しかありません。(1日につき賃金の半分、複数日の場合は賃金の10%を上限という減給の制裁が労基法91条には規定されています。)

 

この思いは決して忘れてはいけません。僕は、決して恩義のために今の仕事をしているわけではありませんが、この救いこそが、後の僕の原動力になりました。

 

少し脱線しましたが、このように僕は家族と仕事を失わずに済みましたが、唯一失ったものと言えば、免許と罰金+弁護士費用の云十万というお金でした。正直、家族と仕事に比べれば屁でもない損失です。

 

免許は沖縄在住の身としては非常に手痛い損失のようですが、実際は何とかやっていけるものです。逆に、車通勤が物理的にできなくなったので、バス通勤にシフトして、通勤時の時間を読書や勉強などに費やし、謳歌できるようにもなりました。また、車を手放したことで、ガソリン代や車検代などもかからず、結果としてかなり大きな断捨離をした感じでした。勿論、強がりなんかではありませんよ。

 

という感じで、僕は家族、会社の上司や先輩、引いては労基法なんかに守られ救われたのです。僕に残ったものと失ったもの、この現状から、留置所で瞑想していたことを諸々考慮して、僕は妻や家族、そして会社や社会に対して、一つの夢を抱くようになりました。

 

社会保険労務士試験の勉強を開始

僕は2019年8月の本試験合格目標で、通信で社会保険労務士の資格勉強を開始しました。そうです、新しくできた夢がこれです。

 

勿論、社労士になって全て終わりということではありません。むしろ始まりのための資格として、取得を狙っています。

 

この記事で書いた通り、僕は家族や会社の上司・先輩に支えられ、今を生きることができています。また、沖縄移住前には、メンタルを壊して会社を辞めたり、傷病手当や失業給付を受けていた時期もありました。こういった自分の負たる経験を、同じように悩む人やこれからそういう人が出てこないように企業自体をサポートすることが、僕の経験を無駄にすることなく、かつ、僕にしかできないことなのではないかと思ったのがきっかけです。

 

そのため、社労士を取った後も、士業に留まらず、様々な情報発信や働きやすさを追求する仕組みやサービスのようなものを創出していく活動をします。とにかく、自分のクソみたいな失敗や経験を少しでも誰かの役に立てて、自分が救われたように、未だ見ぬ誰かの何らかの救いとなれれば最高だと思ってます。

 

このように、給料やキャリアを優先しようと思い、転職先まで決めた矢先、僕は自分の甘さ故に事件を起こし、逮捕されました。そして、一連の臨界経験を経て、改めて自分を見つめ直し、本当に自分がしたいこと、むしろ、打算的な理由ではなく、自分という人間がどのように社会や他人のために何を残せるのか、どんな価値を提供できるのか、という基準で目標を据えることができた、このことが一番の収穫でした。

 

今の僕に、迷いはありません。

 

ウェブ解析士の資格を取得

社会保険労務士の試験勉強を2018年3月から開始させ、早いものでもう8カ月が経ちました。本試験まではもう300日を切り、日々コツコツ地道に知識や理解を深めて対策をしていっている日々です。

 

その一方で、今年の6月くらいには、ウェブ解析士協会が主催する、ウェブ解析士という資格にもチャレンジし、無事合格することができました。

 

というのも、先述した通り、僕は現職に生活や人生全般を救われた恩義があります。重複しますが、恩義で仕事をする気はありませんが、恩義があって仕事に燃えないはずはありません。そのため、逮捕される前に行っていた転職活動で感じた、マーケティング業界における自分のスキル不足や、足りない部分を埋めていくことは、現職である広告業界での活動に大きく好影響もたらすと考えました。むしろ、マーケティングノウハウや基礎知識を、僕自身がしっかり体系的に身に着けることができれば、恩人たる現職にとっても大きな強みになると思いました。

 

沖縄のような地方の広告代理店となると、東京の広告代理店やインターネット広告代理店のように、基本的なマーケティング知識を有している人は少ないのが実情です。いわゆる感覚的なマーケティング、なんとなく施策が横行しています。

 

そういった状況を打破すべく、まずは基本に立ち返るためにこの資格を取得しました。勿論、事情を話し、講座代や資格費用は会社から負担してもらいました。やっぱり、感謝してます、会社に。

 

実際に取得してからは、仕事が飛躍的に増えたわけではありませんが、確実に提案の質が向上し、当社がこの手の分野で強いという市場の理解も少しずつ定着しつつあります。時代に取り残されず、しっかりその波を乗りこなし、次の時代も成長し続けることができるように、小さくとも、大きな一歩を踏み出すことができたと思っています。

 

とりあえず、このウェブ解析士の資格に限らず、こういった学習といったインプットも定期的に行っていき、どんどん新しいアウトプットを繰り出していきたいと思っています。実際、地方の広告代理店とかの方が、裁量は無限大なので、新しい施策や打ち手などを好き勝手に試すのには最適な環境だともいえます。案外おすすめです、地方の弱小代理店。

 

プランナーとして強みを模索

ウェブ解析士を取得しただけでは、僕のプランナーとしてのスキルに飛躍的な進化は見込めません。それは誰の目にも明らかです。

 

しかし、30歳の年に経験した転職活動で出会った、コンサル系教科書で転換が起きた思考方法というのは、プランナーとしての大義である課題解決への取り組み方に大きく変革を起こしてくれました。

 

具体的には、仮説思考、ゼロベース思考であったり、論理的思考、フレームワークの類の手法です。いわゆる常に自分の常識や先入観のようなものを抜きに事象を捉えて、課題を因数分解する思考、こういったアプローチは今の僕の仕事の基本となっています。そして、このような課題アプローチができる人が、やはり地方には未だいません。

 

また、僕の職場でも蔓延していますが、フェルミ推定で養えるような地頭力のようなものがどんどん弱くなっています。これは、インターネット活用の弊害でもあり、思考力の低下の顕著な例だと思いますが・・・分からないことに対しても、まずは自分の中で仮説を立てて、検証をしていくようなアプローチ、この習慣も今となっては自分の強みだと思っています。

 

沖縄のような地方の広告やクリエイティブ、プロモーションに溢れる、既視感やダサさは、正にこのゼロベースで課題を捉えることができなくなった末路であり、本質的な課題が見えていない証拠です。

 

こういったものの見方ができるようになったことが、僕の強みであり、30歳で得た大きな収穫です。

 

31歳の抱負

長々と僕の激動の30歳としての1年を閲覧いただきありがとうございます!

 

世の中にはこんなどうしようもない奴もいるんだと安心していただいても良いですし、逮捕されても尚前向きに動いている人間もいると何かの腹の足しにでもしてもらえるだけでもありがたいです。

 

とにかく、様々な人に救われ、信じてもらい、チャンスをもらったのが30歳の年でした。

 

31歳としての1年間、まずは、資格も仕事も結果で応えていきます

 

勿論、依然の僕のように、焦って選択ミスをすることはないようにしたいので、まずは焦らず地道に。これが基本理念ですが、何といっても行動、行動、行動というのが、今年の抱負です。

 

そのためにも、このブログも引き続き書いていきます。現在の運用ポリシーとしては、社会保険・労働法関連知識のアウトプットの場、日々感じて整理できていない考え、過去の自分の経験から他に還元できそうなそよ風情報、この辺を中心に運営しています。社労士試験の勉強もしかり、プランナーとしての思考整理にも、日々の雑記としても、様々なアウトプットの場として、このブログを始めたこと自体も今はプラスに捉えています。

 

行動の一つですが、ブログというアウトプット環境を活用し、これからも自分の理解を深めていきたいと思います。すみません、独りよがりで。

 

それでは、また。