反省が多いのは真面目で責任感が強すぎるから。

反省が多いのは真面目で責任感が強すぎるから。

どうもこんにちわ、INAZOOです。

 

最近つくづく思うのです。

 

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もっと皆、テキトーで無責任なくらいな方が、楽に生きていけるのではないだろうか。

 

むしろ、責任感が強くて真面目な人ほど“反省”する機会が多く、常に思い悩んでいたりしがちです。今回はそんなお話しです。

 

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責任感と真面目さは持ち過ぎると危険

責任は持ちすぎると危険
気づいた時には肥大化している、それが責任感

社会人として、親として、彼氏として、友達として、私たちは日々何かしらの責任を負って生きています。

 

そして、それは大きいものもあれば、責任だとは気づかないくらい軽微であったり、当たり前すぎて責任だと認識しないもの等、実に様々だと思います。

 

私たちが普段生活をしていると、「責任」という言葉は何かしらのポジティブな要素を帯びています。

 

というのも、仕事であれ家庭であれ、その円滑な運営を担保し土台になるものが「責任」であり、強ければ強い程、頼れる存在であったり、優秀な存在だと認知されます。つまり、自他ともに「責任」は持つべきものであり、持てば持つほど承認欲求を満たすものになります。

 

このように、何かしらの事象をドライブあるいは維持させる上で、土台となる概念が「責任」だと考えると、負いすぎると当然重荷に変わってきてしまうのも想像するに難くありません。

 

要するに、土台になっているが故に、自分がその役割・責任を投げ出したら土台が壊れ、みんなが正常に立てなくなってしまう・・といった具合に身動きがとれなくなるということです。

 

重い荷物を持ち過ぎたが故に自由に動けない、身動きがとれない状態に陥ることがまさに危険だと捉えています。

 

どの辺が危険かといえば、動けないが故に周囲が見渡せない、その重荷の中でしか物事を考えられなくなることが最も危険です。脳の中で逃げ道がなくなる感覚です。

 

正当な理由で休みたいけど休むと迷惑がかかる、

 

正当な理由なのに。もしかしたら周りはよくは思わないかもしれない

 

とか。

 

とにかく数え上げたらキリがありませんが、責任感が強い人は総じてこのような心配を日常的に抱えています。そして、日々その責任を全うして、ほんの束の間責任から解放される数時間でわずかな充電をして、また次の日に重荷を背負う、といった毎日を過ごしています。

 

そしてそんな毎日が当然だと、逃げるべきではないと言い聞かせながら正当化して、社会の中で自分は正常な人間だと確認しながら、その判断材料たる責任を背負って生きているのです。

責任感と真面目さをほぐす言葉

責任感と真面目さをほぐす言葉
Chill Outって感じですな。

責任感は持ちすぎると危険ですが、持たないと生きていけないのも事実です。たとえそれが気づかないくらい軽微な責任であっても、人は皆何かしらの責任を負って生きています。

 

では、その避けては通れない責任を負いつつも、その重さを少し軽減する、あるいは軽いと感じることができる言葉は何か。

 

「死にはしない」

 

これに尽きると思います。

 

つまり、事象の土台たる責任を放棄したとしても、誰も死にはしないということです。勿論、極論を言えば飛行機の操縦をしているパイロットが飛行中に「死にはしない」と思っても、十中八九乗客は死んでしまいますが・・・、あくまでそのくらいの気概があっても良いということです。

 

面白いことに、自分しか担えないと思えるような世の中にある「責任」のほとんどが、いとも簡単に代替されてしまうものなのです。パイロットの例で言えば、副操縦士がいますよね。これは少々残酷で、存在否定をされているような印象を受けがちですが、そんなことはありません。

 

言い方を変えれば、絶対に誰かが助けてくれます。ましてや、日々責任感を持ちながらコツコツとひたむきに努力を重ねてきたような人であれば尚更です。絶対に誰かが助けてくれます。

 

ちなみに、責任感が強く真面目な人がよく受ける励ましの言葉が「もっと不真面目な方がいいよ」です。

 

これは一番駄策です。

 

「真面目さ」というのはメリットです。そして真面目であるから責任に押しつぶされるわけではありません。そこに因果関係はありません。

 

だから、真面目なことを変える必要はないのです。変えるべき、あるいは軽減すべきは「責任」への依存であったり、身動きの取れない状態なのです。

「適当」というスタンス

テキトーではなく、適当に
適当っていい言葉

「死にはしない」と同じくらい大切で、パワーワードなのが「適当」です。

 

テキトーではなく、「適当」です。

 

テキトーであると、それは真面目さを欠くいい加減な様を指します。

 

一方、「適当」であればそれは適度な様子であり、過不足ない程よい様、伸びしろのある様子を指します。

 

時として全力で力尽きるまで死力を尽くさないといけない場面はあるかもしれませんが、だいたいことは「適当」で済みます。

 

このように、真面目さは長所として維持していながらも、適度な力の入れ方を覚える、意識することが最も重要です。

 

これは、何事においても通じることです。

 

スポーツであっても、力んでいては思うような結果が出ないことがあると思います。基本に忠実に適度な力で正しい力の入れ方をすれば今までよりも良い結果が出ることが多分にあると思います。

 

勉強も仕事も同様です。詰め込み過ぎたり、やり過ぎるとどこかに歪みが生じるものです。ビジネスの世界であれば、サボり方を覚えたら一人前なんて言われますが、これは最たる例です。

 

100%サボるのではなく、「適当」にこなすことができるから、on-offをはっきりと区別することができるようになり、結果としてパフォーマンスも上がるということです。

 

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力抜いて行こうぜ

力抜いて行こうぜ
靴を脱いで、力抜こうよ

ということで、今現在仕事や、家事、学校で何かしら責任を負っている方。

 

あるいは、誰かに申し訳ないと感じてしまうが故に、逃げることができない人、決断ができない人。

 

そういったすべての人に言いたいことは、

 

「力抜いて行こうぜ」

 

どんなに申し訳なく思っても、自分がどうにかしないと・・・と思っても、例えそれを放棄したとしても、それはよっぽどのことですし、普段から真面目な人がそうなったとしても、いい意味で誰も困りません。

 

また、そのくらい責任感を感じて悩んでいる人であれば、誰かがきっとその頑張りを普段から見ています。自信を持って放棄しましょう、堂々と逃げましょう。

 

誰も「死にはしない」ので、適当に責任を全うすればいいのです。

 

それでは、また。