「昔はこうだった」系の人が抱える闇

「昔はこうだった」系の人が抱える闇

どうもこんにちわ、INAZOOです。

 

突然ですが、皆さんの職場や近くにこんな人いませんか?

 

 

社畜時代
前職は○○だったよ

 

 

社畜時代
それ、

前の会社だったら○○だけどね

 

 

社畜時代
○○はもっと待遇良かったけどね

 

 

いわゆる「昔はこうだった」系ピーポーです。

 

どんな人でも昔、大方は若かりし頃や元いた環境などを憂い、懐かしむものです。いわゆるノスタルジーというやつですね。

 

今回は、そんな「昔はこうだった」系の人の生態やそういった人間に出くわした際の処方箋についてのお話です。

 

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「昔はこうだった」を言ってしまう背景

「昔はこうだった」と言ってしまう人にはどういった傾向があるでしょうか。

 

そもそも「昔はこうだった」という言葉を発するシチュエーションを考えてみることでその答えが見えてきます。

 

即ち、“今”に満足している、過去と比較するような隙間すらない“今”を生きている状態であれば、“昔”と比する必要などないということです。「昔はこうだった」という発言は言葉の通り、「今は○○で、昔は△△だった」という構成が必ず成り立ちます。

 

言うまでもないことですが、「昔はこうだった」系の人は今に満足しきれていないのです。あるいは、満足はしているものの、何か理由を付けて過去や理想を捨てている人です。

 

・・・しかし、誰しもこういう気持ちを抱いた経験があるはずです。

 

輝かしい過去を持ち、納得のいかない現在を生きている人・・・というのは決して珍しいタイプではありません。なぜならば、人は誰しも昔を懐古する生き物だからです。

 

過去と今との比較から逃れられない理由

錆びついちゃいないぜ?

人間ひいては生物であれば不可避であり、今と比して確実に劣るもの、それは“老い”です。

 

時間の経過により細胞が劣化する事象、これが人間が今と過去との比較から絶対的に逃れられない理由です。

 

しかし、細胞が劣化すること自体がそこまでネガティブなことなのでしょうか?当然のことながら、機能としては劣化しますのでネガティブな要素はあります、しかし例えば、ビンテージやレトロといった言葉があるくらいですので、経年劣化により価値を増すものはこの世の中に五万とあります。

 

人間が細胞の劣化をネガティブに捉えてしまう主な要因としては、いわずもがな機能面(筋力、運動力、学習力、記憶力 等)での劣化が主たるものだということは疑いようはありませんが、人間特有の要素としては、見栄やプライドといった要素が強力です。

 

人間は見栄やプライドというものを持つことで、社会の中でアイデンティティを有し、精神の安定を維持しています。なぜならば、我々は必ず何かしらのコミュニティに属しており、複数のコミュニティが連なることで社会を形成しているからです。

 

見栄やプライドは有象無象に存在する、十人十色な人間の中で、自分の現在地や自分が何者であるかを根拠づける要素です。故に、社会の中で生きることを余儀なくされる人間にとって、その存在価値を担保する要素としての見栄やプライドというものは生きる上で必要不可欠なものなのです。

 

話を戻すと、自分の現在地や何者であるかの根拠たる見栄やプライドが傷つくことは、否が応でも、ネガティブに捉えてしまうということです。

 

そのため、避けられない過去との比較として、人は誰しも“老い”を憂うのです。

 

見栄とプライドを捨てれば過去は気にならない

兎に角、老いは人間である限り避けられない。その上、見栄やプライドがあるとその事実を卑下してしまう。老いをポジティブにビンテージやレトロといったフレーズとして捉えることができるようになるためには、シンプルに見栄やプライドを捨てること、これに尽きます。

 

そもそも、「昔はこうだった」と言わずにはいられない環境に自分を誘ったのは、紛れもなく自分ですし、自分でしたことを棚に上げて「昔はこうだった」とはどういう了見だという話です。

 

また、「昔はこうだった」と自己完結する形で徐に振り返るくらいなら無害ですが、他人(会社の部下等)にひけらかすのはいかがなものでしょうか。

 

前職は○○な環境が揃っていた。前職は○○だった・・・。そんなに言うなら前職に戻りなさいよ、と。

 

いずれにおいても、元居た自分のポジションより社会的に低い環境に属することで、持前の見栄やプライドが傷つき、そこに染まりたくない、自分は異質な存在だということを認知して欲しいという、強烈な承認欲求が諸悪の根源なのです。

 

そのため、こういった傾向(見栄やプライドが捨てられない)の強い人に共通するのが、大きな失敗をしたことがないという点です。

 

つまり、一度自分の立ち位置を見失ったり、地に落ちた人、あるいは日常的に失敗を恐れずに進む人、こういった人達にはそんな過去を懐古して承認欲求を満たすようなことはしません。

 

軽微な失敗こそは積み重ねたが、挫折をするような、全てを失いかねないような挑戦をしたことがない、そんな人が過去と今を比較するのです。無論、今を生きているようで実態は過去の幻想の中を生きているような状態です。

 

失敗したことのある人は、こういった見栄やプライドの類がいかに陳腐かということを身をもって知っているため、過去等見事に気にならなくなります。

 

むしろ、大きな失敗をしてしまったような過去であれば、早く忘れたいとこでしょう。それが健全であり、一皮むける人の特徴です。

 

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「昔はこうだった」系の人の口癖~10選~

思い当たる節があれば、痛いよ?

「昔はこうだった」系の人の口癖、言いがちなフレーズ(ビジネス編)をいくつか紹介します。

※今後、追加があれば随時更新していきます。

俺が若い時はほとんど寝なくても平気だった

「昔はこうだった」系の中で最も頻度が高いのは、苦労自慢。お前が昔どれだけ社畜だったか、どれだけ生産性が低く、ただただ遅くまでやれば報われるというクソミソな思想の元働いていたかは・・・知らん。

○○だったら、これ絶対ありえないよ?

典型的なものとしては、前職を引き合いに出しがちです。そういう時ははっきり言ってやりましょう。おい、お前は今どこの社員だ?と。

少年野球をやっているのに、メジャーリーグじゃ通用しねーよ?っていう奴ですね。・・・いや、待てよ。それはそれでケイスケ・ホンダみたいで底知れぬポテンシャルを感じ得ないぞ。

いやいや、十中八九こういう奴は過去と今を比較しちゃうタイプですね。何よりうぜー。

普通はありえないと思う

伝家の宝刀「普通」という物差しの振りかざし。いや、普通ってなんだよ。今の環境は普通じゃねーのか?普通って何を持って普通なんだ?

○○のデータだし、絶対でしょ。

これも傾向としては非常に多いです。自分が元居た会社やその時に付き合いのあった会社であれば、絶対的に信用が置けるという妄信。

それ、常識でしょ?

いや、知らん。

そもそも、○○であるべき

「常識」にも通じますが、そもそも論が大好きなのが「昔はこうだった」系です。打ち合わせ中でも、煮詰まった際に「そもそも論」を唱え始めると、何か知らないけど事態が収拾することが多分にあります。

まぁ、80%が思考停止。

何も進展しちゃいないんですがね。

「昔はこうだった」系の人への処方箋

「昔はこうだった」系の人は、見栄やプライド、しかもかなり些細なものが捨てられないでいると説明しました。

 

見栄やプライドが傷つくのが怖くて、いわば過去という鎧を身にまとうイメージですので、その実態は承認欲求の塊だということです。

 

そのため、「昔はこうだった」系の人の処方箋としては、「認めてあげる」ということが最も効果的です。

 

これまでの話の流れだと、概ね会社の上司といった目上の人に該当するように見受けられますが、これは部下とか新人とかに至っても同じことです。

 

上司に限らず、新人であっても、「大学の時は○○」といった具合に過去を持ち出しがちです。また、どっかで見つけたそれっぽいビジネス書かなんかで知った浅い知識を振りかざし、先述したようなそもそも論を言い出しがちです。

 

こういった人も同様に「昔はこうだった」系です。

 

つまり、比較対象が過去と今でなくても、今と何かを並べて不満を言うタイプの人間はいずれも「昔はこうだった」系になるということです。

 

重複しますが、こういったタイプはまずは認めてあげること。これに尽きます。承認欲求に気づいてあげること、これが絶大な効果を生みます。

 

「昔はこうだった」系の人が聴いた方が良い曲

解決策としては荒療治ですが、「昔はこうだった」系の人はこの曲を聴いてみてください。

 

というのも、私自身も「昔はこうだった」系の人間なため、この曲を聴いた時に、少し胸が熱くなり、かなり恥ずかしくなりました。ぜひ一度ご視聴ください。

 

 

少しサッパリした記事になってしまいましたが、今日はここまで。

 

それでは、また。

 

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