イヤイヤ期をポジティブに楽しむ。

イヤイヤ期をポジティブに楽しむ。

 

どうもこんにちわ、INAZOOです。

 

早いもので・・・

僕の愛する息子も11月で2歳になりました。

 

そして、息子も2歳目前くらいから突入したのが、『イヤイヤ期』です。

 

このくらいの年の子供がいるママ・パパなら皆が通る道ですよね。それが我が家にも漏れなくやってきました。しかも音を立てずに。

 

僕自身も、息子のイヤイヤ・モードに対してついつい感情的になってしまったり、フラストレーションを抱えてしまうことが多々あります。そしてその都度、言いようもない罪悪感と自分の大人げなさや、親としての未熟さを痛感している毎日です。

 

しかし、息子のイヤイヤ・モードがエスカレートするにつれて、一度冷静に考えてみたわけです。

 

一般的に、2歳くらいから3歳くらいにかけて突入すると言われている、『イヤイヤ期』ですが、このくらいの年の子供って、おしゃべりや意思疎通が徐々にできるようになってきて、その成長過程においても、一位二位を争うくらいかわいい時期でもありますよね。

 

うーん、そう考えるとなんかもったいない。

 

つまり、息子と僕や妻の人生においても、二度と戻ってこない貴重なこの時期を、お互いにイライラしたり、フラストレーションを抱えて過ごすのなんて、すごーくもったいなくないですか? シンプルな話ですが、イヤイヤ期と人生で一番かわいい時期が被っているのであれば、その時間・価値を天秤にかけてみれば一目瞭然かなぁと気づいたわけです。

 

だって今しか、今しか2歳の息子を味わえないのだから。明日には今日の息子は帰ってこないのだから。

 

そう考えると、イヤイヤ・モード特有のグズりや、地面にうつ伏せになって手足をバタバタさせる様も、おしゃべりができないともできるとも言えないこの絶妙なフェーズにおける特有の光景であり、とても貴重な時間なのかとも思えてきました。

 

 

・・・だったらもっと、子供との時間をエンジョイしないと、本当にもったいない!

 

 

ということで今回は、この貴重な子供のイヤイヤ期を、より楽しむための心構えを纏めていきます。むしろ、自分に言い聞かし、僕自身に説いている部分もあり、日々の妻とのトライ&エラーから得た実体験も踏まえて紹介していきます。

 

どうぞ、お付き合いください。

 

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イヤイヤ期とは何かを考える

 

そもそも、イヤイヤ期とは何か。

 

という問いについての解答・解説は巷に溢れています。しかし、僕なりに纏めるとイヤイヤ期って実際はこういうことなのかなぁと思っています。

 

 

つまり、『イヤイヤ期』 というネーミング自体が、かなり親目線だなと思うわけです。だって、子供からしたら、ママ・パパが言うことに対して常にイヤイヤしてるわけではないかもしれないじゃないですか?

 

むしろ、この2歳くらい特有のイヤイヤ期については、○○をしなさい→「イヤ!」というロジックより、「僕は○○したい!」という子供自身から自発的に発生する、究極にシンプルかつ直球な自己主張なのではないでしょうか。あくまで、両親を含む第三者からの命令や指摘に起因するものだけではない、ということです。

 

前者と後者で何が違うの?と思われるかもしれませんが、明確な違いとしては、後者の場合は、ママやパパの○○しなさい、とか、○○はダメ!のようなやりとりは、子供のイヤイヤに全く関係ないということですね。

 

もっとシンプルに言えば、イヤではなく、「僕の話聞いて!」なわけです。命令に対してとかそんなことどうだっていいのです。もうとにかく人が白と言ったら、黒と言いたいわけです。天邪鬼と言えばそれまでですが、これが子供の人生初の自己主張なのです。

 

振り返ってみれば、歩けるようになったことで行動範囲が広がるのと同様に、ワンフレーズでも言葉を発するようになったことでコミュニケーションの幅が広がるのと同様に、自分の自己主張がどんな形であれ、ママ・パパに届き、何かしらの影響を伴って空気が動くことに、一種の喜びであったり、それ自体に好奇心を覚えているのではないでしょうか。

 

子供は往々にして、形態変化を好むものです。いつもと違う声であやすママや、変顔をするパパ、形や声等、あらゆるものにおいて“変化”することを好む子供からしたら、自己主張によって空気や両親の態度が変わること自体が、興味を惹く形態変化の一つであり、それ自体、自分発信で世界が広がっていくことを知る原体験なのです。

 

そして、この覚えたての拙くも必死な自己主張というものは、子供にとって壮大な実験とも呼べるのではないでしょうか。つまり、自分の主張(イヤイヤ)がどのように物事の展開を変え、どのように自分にメリットをもたらすのか、あるいはデメリットをもたらすのか、そこまで打算的ではないにしても、いわば、自己主張が導く事の顛末に対する子供の壮大な実験だとも捉えられるのではないでしょうか。

 

こう考えるだけで、子供の成長に喜びが込み上げてきませんか?だって、2歳そこらにして、既に実験という科学的アプローチを無意識にしているわけですよ。あれ、我が子は天才なのか!?と思いましょう。

 

また、このように考えると、子供は僕らの言っていることや指摘に反論してるわけではないんですよね。勿論そういったケースも多分にあるとは思います。しかし、ただシンプルに成長過程で、その小さな脳の発達が引き起こす、飛躍的な成長の一つだ捉えることができればとても気が楽になるはずです。

 

親目線で言えば、大人に限らず人って、自分の意図した方向と別の力が働くと少なからず不快な思いや苛立ちが生まれてくるものです。但し、上記のように子供のイヤイヤ期を捉えると、決して自分に反抗していたり、意に反しているわけではなく、単に子供の実験であり、ほとんどのイヤイヤにあまり大きな意味はないということが分かると思います。

 

イヤイヤをしている理由には意味はなく、イヤイヤをするようになった、あるいはイヤイヤ後に得る学びに意味があるのです。こう捉えてもう少し大らかに、子供壮大な実験に付き合ってみるのはいかがでしょうか。

 

子供のフェーズを俯瞰視する

 

イヤイヤ期は親に対する反発ではなく、シンプルな自己主張であり、空気や事の展開が形態変化することへの好奇心、あるいは子供の壮大な実験だと捉える、というのが僕の解釈です。これを前提として、よりポジティブに子供の成長やイヤイヤを受け止めるためには、子供の現在地や成長フェーズを客観的に捉えることが大切です。

 

広義の意味で言えば、言わずもがな『イヤイヤ期』というフェーズですが、ここでいう子供の現在地や成長フェーズを指すのは、イヤイヤ期における現在地のことです。つまり狭義の意味での現在地。

 

そして、現在地というからには、共通の指標たる基準が必要になります。但しこれも子供の個性や成長進度によって異なるものであり、一概に平均値や成長曲線などで表現することには適さないと考えています。僕、結構嫌いなんですよ、あの母子手帳に記述されている成長曲線というものが。子供って、子供の数だけ成長の進度はあるわけだし、人より非常に遅れてようが進んでようがそんなものは個性であって、過度に親を安心させたり、不安にさせたりするような指標を作ってるんじゃねーよ、って話。

 

話は逸れましたが、兎に角、子供の成長フェーズや現在地を示すような羅針盤、一般化されるべき指標はありえないと思っています。では、どのように子供のイヤイヤ期を俯瞰視するか、という点ですが、それは先述した“実験”のプロセスに置き換えてみると分かり易いです。

 

私はド文系の人間なので、実験というアプローチをざっくり定義します(理系のママ・パパ、多少は多めに見てください・・・)。一般的には、仮説や既存の理論等が正しいことなのかどうか、あるいは、再現性のあるものとして確立できるかどうかを立証するために、実際にやってみる、そしてそれを評価・検証し新たな仮説を立てる、といった一連の流れやアプローチの仕方を実験と呼びます。

 

つまり、実験のプロセスは大きく、ざっくりと区分すると次のようなものになります。

 

① 仮説を立てる

② 実験を実施する

③ 結果を確認する

④ 原因を確認する

⑤ 仮説を修正する or 仮説を真理とする

 

では、イヤイヤ期というもの自体が、「子供の行う壮大な実験である」という解釈を前提に、上記①~⑤にこの時期の子供の行動を具体的に当てはめてみます。

 

① 泣けば、ママは注目してくれる

② 理由はないけど、事あるごとに、泣いてみる

③ ママは怒り、ばぁばは抱っこしてくれた

④ ママはうるさいのが嫌い、時間がない

⑤ 面白い顔をするとママは注目してくれる

 

このように、⑤という新たな仮説を元に、子供はまた①から繰り返していきます。また、①~⑤の流れが一つのパッケージだとしたら、当然のことながら、しばらくの間④に留まり続けている子もいます。つまり、自分の採った実験に対する結果が、何故そうなったかという原因の確認ができない、という状況です。

 

そして、冒頭から説明している『イヤイヤ期』は正にこの①~④の繰り返しなのです。

 

大きな枠で言えば、新たな仮説たる⑤がイヤイヤに該当するような、親にとっては不都合な行動であれば、それはまだ『イヤイヤ期』だということです。一方で、⑤の修正版仮説が、大人目線でも理にかなっていたり、子供も大人も双方に納得のいくものであれば、それが子供の中での一つの真理として定着し、その後も明確に自身の価値基準になっていくのです。

 

とはいえ、実験の都度、結果の原因分析のできる2歳~3歳児など早々にいません。しかし、あくまで言語化して定義づけることができないというだけの話で、子供に限らず我々自身も少なからず、日常生活においてこういった原因分析を感覚的に行い、新しい物事や一定の理論を理解していますよね。その感覚的に理解するスピードがママやパパとは異なるだけなのです。

 

例えば、夫は土曜日になるといつも寝ていて外に息子を連れて行ってくれない、どうしたらいいか?「たまには外に遊びに連れて行ってあげてよ」としきりに言う人もいれば、「新しい車の試乗やディーラーに行ってみない?」といった夫の趣味・趣向を逆手にとるなどの策を取る方もいるはずです。このように、言語化しないまでも、夫に子供を外に遊び連れて行って欲しいという目的に対して、実験をし原因を突き止めて、うまく転がすような話はよくある話だと思います。

 

この世に生を授かって2年足らずの子供に、このようなロジックを立てるだけのサンプル数もありません。そのため、たくさんの実験を行い、サンプル数を稼ぎ、真理を突き止める練習をしているわけです。

 

このように、子供のイヤイヤ期が壮大な実験だと捉えるのであれば、子供のイヤイヤ期がとてもポジティブなものだと捉えることができませんか。なぜならば、子供の成長度合いや進捗がより具体的に見えるからです。そのためには、どのフェーズで我が子は止まっていて、どういった目的で実験を行っているのか等を考えてあげることが大切です。

 

どういった目的でイヤイヤという実験をしているのかを考えることは、子供の心の理解、共感へも繋がります。

 

とはいっても、そんな実験に付き合う程、毎日に時間の余裕があるわけじゃないっ!!って思う方も大いにいると思います。何時までに子供をお風呂に入れて、寝かしつけないと、何時から明日のお弁当の準備ができないとか・・・こういった事情、痛い程に分かります。

 

しかし、この時期の子供はもう2度と戻ってきませんし、2歳~3歳くらいって一番かわいい時期です。多少自身の生活のリズムが崩れようとも、一生に一度しかない子供が最高にかわいい瞬間や、実験による一生ものの学びを得ようとしている姿勢を無下にすることなどできません。

 

また、先にも述べた通り、このイヤイヤ自体に意味もなく、ただただパパやママの周りに漂う空気の変化などに対する好奇心、つまり実験とは異なる理由に依るものだとしたら、それ自体に何も意味のない、子供の遊びの一つなわけです。意味のないというと語弊がありそうですが、言い換えるならば、形態変化によるあやしであり、変顔をしたり、変な声を出して子供を喜ばせるのと同じくらいのことなのです。

 

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いかにポジティブに捉えるか

 

『イヤイヤ期』は子供の一番かわいい時期とも被るという話を前段でしましたが、この時期をもっとエンジョイしなければもったいないですよね。

 

重複しますが、今日のお子さんの表情は、もう明日には戻ってきません。それだけ一瞬一瞬が貴重な時間なのに、イライラしたり、子供を怒ってばかりいたらもったいないじゃないですか。

 

とはいえ、ダメなものはダメな場合もあります。例えば、子供の身に危険が降りかかるもの、誰かに危害を加えかねないこと等、これらの事は先述した子供の実験だとしても、形態変化への好奇心だとしても大人が制止しなければなりません。いわばここがボーダーラインだとも言えます。

 

しかし、こういった制止すべきシチュエーションというのは日常では早々お目にかかるものでもありません。積もり積もるイヤイヤ期の事象としては、ご飯を食べなかったり、着替えをしなかったり、歯磨きをしなかったり等、そういったことです。これらは子供を直接的に傷つけたり、誰かの命を奪うようなことではありません。

 

こういった日常に溢れている子供のイヤイヤは先述した通り、子供の壮大な実験の一部であり、それ自体に意味を成さない好奇心であることがほとんどです。

 

ここまで読んでいただいた方には、もはや言わずもがなかもしれませんが、ある程度のことは子供のイヤイヤに乗ってあげましょう。なぜならば、その行動は実験であり、好奇心なのだから。まだまだ真理に至るまでのサンプル数が少ない我が子に対して、イヤイヤしたら何でもかんでも怒っていたら、それこそ子供の実験の邪魔をしているだけです。

 

イヤイヤ期という期間を通じて、子供とともに夏休みの実験をしているくらいの感覚で接してあげてみてはいかがでしょうか。我が子のイヤイヤが実験の一部だと感じれば、何かしらの真理(子供にとっての)に向かっているということだけで、とても前向きな気持ちで子どもの反応を見届けることができます。

 

また、大人の都合でどうしても急いで○○をさせないといけない等の事情があるときは、先ほど説明した実験プロセスで言うところの、
③(結果を確認する)から④(原因を確認する)にいる子供の理解や学習のお手伝いをしてあげましょう。

 

例えば、仕事に行く前の朝食時に、ご飯を口に入れては出すといった奇妙な遊びを子供が始めたとします。まずは、怒るのか説得するのか等の実験に対する結果を提示します。その上で、ママやパパが何故怒ったor説得してるのかを、「○○だから●●である」くらいシンプルな構造を用いて説明してあげます。

 

例えば、「口から出したご飯は食べれなくなる。だから、作ったママは悲しい」、あるいは「面白そうな遊びだね。でも、パパはお仕事に行かないといけない」このようにシンプルなロジックで説明してあげます。理由としては、先述した実験プロセスの④たる原因分析を加速させるためです。

 

何度も同じこと、同じようなことをするのであれば、子供が真理に辿り着くためのロジックであったり、事例が未だ足りないのです。気長に待ちつつも、一緒にサンプルを作ってあげましょう。

 

子供を教育するのではなく、子供の実験を手伝う、実験からの真理を導いてあげる。この姿勢だけで僕自身も息子のイヤイヤがとてもポジティブなものとして捉えることができるようになってきました。そんな折に、子供の先入観のないロジックを前にして大人気づかされることも多々あります。そんな気づきも含めてポジティブに捉えましょう。

 

とはいえ、込み上げる『怒り』をどう処理するか

 

何やらパァパァと理屈を捏ねてきましたが、やっぱり我々も子供のイヤイヤに対して、実験だの好奇心だのと割り切ってポジティブに捉えられない時だってあります。いや、むしろそんな冷静に俯瞰的に捉えられないことの方が多いです。

 

だって、自分の子供であり、自分の事のように当事者意識があるのですから。怒ってしまうのは自分本位だと自責してしまいがちですが、こちらも同様に人間であり、いくつになろうと僕らもママ・パパとして実験の途上なわけです。

 

この感情のコントロール自体も何が正解で、何が間違いなんてありません。但し、怒ってしまったり、子供の壮大な実験の妨げとなってしまった場合は、その都度事後的にでも冷静に振り返ってみてください

 

ポイントは、事後でも構わないので、一度は振り返ること。子供の実験プロセスと同様です。怒ったという結果を受けて、その原因を検証してみてください。

 

大人である僕たちは、割と容易くその原因や自分の怒りの根拠を分析することができるはずです。それは何故か。

 

それは、僕らもそうやって実験を繰り返し、サンプル数を積み上げてきたから。振り返りという真理を導き出す方法が定着しているのです。よくよく考えてみてください。あなたの子供としてこの世に生を授かってから、未だ数年のかわいらしい我が子には、まだまだそのサンプル数たる実験の場数が足りません。

 

こういったことを、毎回事後的にでも分析できるようになると、自ずとリアルタイムでイヤイヤと対峙した時に俯瞰視し易くなってきます。僕自身もまだ道の途上です。皆さん同様に子育てに妻と共に奮闘しています。

 

一緒に頑張りましょう、子供の実験を邪魔せず、のびのびと成長してくれるように。

 

それでは、また。