子どもの反省論

子どもの反省論

どうもこんにちわ、INAOOです。

 

 

どうですか?皆さん、子育てしてますかっ!?

 

 

僕には、2歳の息子がいます。

 

 

控え目に言っても、スーパーかわいい息子です。いや、スーパーなんて形容詞ではなんとも稚拙ですね、・・・本当に“やんごとなきややこ”です。

 

 

スクールオブ俺
余計分からねーし、

正しい表現かも危ういなww

 

 

これは子を持つ親なら誰でも思うことですよね。

 

しかし、2歳ともなると、イヤイヤ期からの、自己主張強すぎ的な、、という具合でモンスター・モードに突入しているというのも事実です。

 

 

僕はそんなモンスター・サンと対峙する際、ヤツが生まれた時のことを思い出します。最初はフニャフニャしてたのに、気づいたら寝返りうって、首が座って、お座りができるようになって、ずりばいして・・・

 

 

ってグングン成長きたのを考えると、それも嬉しい悲鳴とでもいいましょうか、、

 

 

寝顔とかを見ていると、やっぱり・・・

 

 

「うん、おまえかわいいな。」って思えてきて・・・翌日にデレデレしちゃうんですよね。

 

 

すくすく育ってくれて、元気がある一方、垂れ流す好奇心が留まることを知らず、危険な行動だったり目が離せない場面が増えてくるというのが世のママ・パパの通説といったところでしょうか。

 

 

あるあるだと思いますが、子どもが、ご飯の途中でプラプラ席を立ったり、歯磨きを全力で拒否ってきたり、「え?ここで?」っていうタイミングで妙な要求をしてきたり、なかなか寝なかったり・・・

 

 

こういう場面で子どもを、結構な頻度で怒っていませんか??

 

 

社会に出ても恥ずかしくないだの、立派な大人だの、人に迷惑をかけないだの、しつけっていう建前上、怒りがちですよね。私もやってました(たまに今も出ます)。

 

 

今回は、この「怒る → 反省を促す → 成長」というしつけにおける一連の流れについての話です。

 

 

子どもの比ではないくらい、むっちゃ反省した、否、真に反省しないといけない局面にいた僕だからこそ分かる視点でお話ししていきます。

 

 

社畜時代
まずは、親としてお前が

いっちばん反省せなあかん。

 

 

いなだナウ
それな。留置所ライフがあって

更に気づいたことを話すわ。

 

 

※なんでお前、留置所いたんやっ!!?って思った方はコチラを確認してください~

 

 

Advertisement

何でダメなの?を繰り返す。

 

 

さて、子どもを怒るときってどんな場面ですかね。

 

  • 靴を脱がない
  • ご飯の時間に立ちだす
  • 寝ない
  • 歯磨きしない
  • 散らかし放題
  • ものを汚す

 

などなど・・・数え上げたらきりがありませんよね。で、こういう時に、僕はシンプルに「ダメ」とは言いたくないのです。というのも、一般的に「それはやっちゃダメ!」っていうことって、何でダメなのかをしっかり考えられていないからです。

 

つまり、社会的に許されているか・許されていない、あるいは適合なのか不適合なのかという、ものさしだけで判断するのがあまりに怖いと感じています。

 

 

例えば・・・

 

具体的な例でいうと、「室内で靴を脱がない」っていうケースではどうでしょうか?なぜ靴を脱がないで部屋に上がることがいけないんでしょうか。

 

 

20番
ちなみに留置所では靴は没収される。

便所サンダルに20番と記されてるぜ。

 

 

いなだナウ
留置所の場合は、

案に靴が不要だからだっ!!

 

 

みんなそうしているから、そういうものだから?部屋が汚れるから。などなど、色々考えられると思います。総じて、習慣という観点でNG行為に指定されています。

 

しかしご存知の通り、アメリカなど欧米圏であれば、逆に靴を脱がずに室内に上がるのが一般的です(海外でも靴を脱ぐ文化が広まりつつはあるみたいです)。では、ここでいうNGは、日本だからダメ!ということでしょうか?

 

習慣や文化が理由でダメだとすると、これはあまりに限定的な範囲の論理であり、生物全般に当てはまる理由にはなりません。つまり、家庭という限定的な社会にのみ生き、最も本能的な生態であるこの時期の子どもにおいては、全く腑に落ちない理由なのです。

 

こういった子どもの、まさに「?」を回避してあげること、つまり、日本式と欧米式のどちらが良いとかではなく、子どもと親の「なぜ?」を習慣化させ、思考する癖をつけるべきだということです。

 

みんながそうだから、とか、日本人は靴を脱ぐから、単に汚れるから、といった短絡的な回答だと、ダメである本質的な理由を考えることを辞め、子どもの思考は停止します。

 

恐らく、最初はなぜなぜ?と思っていた子ども自身も、「お父さんお母さんが言ってるからダメなんだ」という思考に陥ります。これが僕には怖いのです。というのも自分の経験上、あるいは失敗上から感じる違和感ですね。

 

ではいかに、常々本質的な問題や課題を考える思考習慣が、子どもに影響を与えうるのか、という点については、次のものが挙げられます。

 

僕にはこれが足りず、今の今までブレブレで、自分の弱さ・流されやすさを露呈していたのでは?と考えています。

 

 

バブリー
今日、結構マジメだな?;

 

 

いなだナウ
子どものことだしな。

 

 

① 人に流されない軸

突き詰めていくと何が問題なのか、その都度何が自分のしたいこととして妥当なのか、といったことを本質的に考えることができるので、先ずもって人に流されたり、自責以外の点で大きく悩みません。いい意味で、人は人、自分は自分というスタンス、マイペースかもしれませんが、とても芯の通った青年に成長するのではないでしょうか。

 

また、ブレないマインドがあるので、一時の迷いや理性を失うようなケースで大きな間違い(犯罪や危険行為)を起こすようなこともありません。現に、僕が飲酒運転をしたのも、一重にこの「自分の弱さ、流されやすさ」が最も大きな原因です。

 

② 忍耐や継続力

本質的な問題や課題を考えるということは、その本質に向けてどんどん掘り下げる癖がつきます。故に、ちょっとした困難や障壁があろうとも、本質的な問題や解決策が見えてこないと、気持ち悪くて辞められません。つまり、忍耐や継続力とも言えますが、突き詰めていく、やり遂げる力が養われます。

 

これは、科学者的思考とも言えます。「常識や通説に依る論理展開はしない」ということは、ゼロベースで事象を俯瞰で捉え、仮説を立てた上で検証を繰り返す、といった思考を無意識で行うようになります。この科学的アプローチは、いかなる業種の人間にも求められる必須のビジネススキルでもあり、普遍的ないわゆる、地頭力だとも言えます。

 

また、クリエイターとして生きる場合でも、何よりも自分の信じる道や、やりたいことを突き詰めて継続したものだけが、評価を受け、価値を生み出すことができるものです。

 

③ 目的意識を持った夢へのアプローチ

本質を見つめ、ブレない軸を有するということは、夢に対してブレません。つまり、将来何をしたいのか、社会をどう変えていきたいのか、といった夢へのアプローチに迷いがなくなります。どんなに人に笑われようとも、どんなに人に認められなくても、常に本質を模索する思考が習慣化しているので、どういったアプローチをすれば、夢に近づけるのかといった部分に確信が持て、周りに流されることなく突き進んでいくことができます。

 

普段我々が目的意識を持てないのは、ゴールを何と設定するか、あるいは、それが本当に実現したいことなのかという部分を棚に上げて、一般的にはそうすべきとか、世間体など表層的な部分ばかりに気を取られているからですよね。本質を思考する力があれば、そんなものは関係ないはずです。

 

恐らく、こういったアプローチのできる子であれば、脊髄反射的に大学に進学し、大企業に就職するといった選択肢はとらないでしょう。それが仮に夢への的確なアプローチであった場合を除いて。最近の潮流として、大企業にいかないとかベンチャーが良さそう、起業すべきという視点でキャリアを選択する傾向があります。「メディアやネットで皆がそう言っているから」、「自由そう」という観点だけでは本質が見えておらず、思考が停止していますよね。「なぜ、自由なのか?」、「自由とは何か」まで自分の中で咀嚼する必要性があります。

 

流され続けて、ふとした時にどこかで壊れることが多い、この世の中。本質を突き詰めてみると、何を本当にすべきなのか、迷いなくクリアになるはずです。クリアになれば、将来に迷ったり、案に人や周りに流されて心を摩耗することもありません。

 

 

これらの①~③の3種の神器とも言える素質を開花させるために大切なのは、「なぜ、なぜ」をさらに繰り返し、本質的な問題を掘り起こすことです。

 

先ほどの例に立ち返ると、日本では靴のまま室内に上がるのはダメ、日本だからダメ、ではなく、「なぜ日本では靴を脱がないといけないのか?」、ここまで考えるようにします。

 

ここまで考えて子どもに話しをするようにします。

 

一例として、これは様々な考え方があると思いますが、一つは、気候によるものでしょう。

 

高温多湿で雨季のある日本では、諸外国に比べ雨が多いため、家屋の構造上、床を高くし湿気が逃げやすいようにしなければ、カビが生えたり、木材が痛むなどして、耐久性や衛生面の観点から古くからこの慣習が日本に根付いたともいわれています。

 

今回の例でいえば、靴を脱ぐ原因→日本文化→家屋の構造→気候という形で掘り下げていきましたが、子どもによっては、さらに、なんで雨が多いの?って具合にどんどん深堀りしてくるかもしれません、これはしめたものですね。

 

「何やら理屈っぽいやつだなぁ・・・」と思っても、自分の子どもを誇りに思ってあげてください。

 

また、この掘り下げ作業については、普段から、奥さんや旦那さんと一緒に、夫婦で考えてみると面白いですよ。

 

我が家は妻と、いつもこの点の議論や仮説を立てています。着地しないことも多々ありますが、夫婦で共に本質を考え抜くことで、子どもに対する価値観や育児の方向性みたいなものも共有していくことができます。

 

だから、我が家は、こどもには伝わっているという前提で、しっかりとダメな理由、しかも極力本質に近い理由を話すことに注力してます。

 

大前提として、子どもだから分からない、とかではなく、しっかりと伝わっているというスタンスで挑まなければなりません。子どもも立派な一個人、独立した人間なのですから。

 

その失敗は誰かを困らせた?

 

これまでは、「なぜダメなのか」を一緒に考え、一緒に本質を問うことの重要性について話しました。

 

次は、僕たちが、僕たちの都合でついつい感情的になって怒ってしまう、この理性のコントロールについてのお話です。

 

ここで、先に述べた典型的な子どもが怒られるシチュエーションを再度見直してみます。

 

 

  • 靴を脱がない
  • ご飯の時間に立ちだす
  • 寝ない
  • 歯磨きしない
  • 散らかし放題
  • ものを汚す

 

よーく見てみると、どれも人間として、それを行うことによって、致命的な問題や危害が及ぶようなことではありません。

 

突き詰めていくと、体を壊したり、衛生的に健康を害したりということも考えられますが、これらのことが誰かを真に困らせる、もっといえば、誰かを傷つけたりする有害な行為と呼べるでしょうか?

 

決してそうではありません。

 

例えば飲酒運転は自分が逮捕される分にはいいですが、下手をしたら無関係な人まで傷を付けたり、最悪命を奪ってしまう可能性があります。こういう行為は有害な行為であり、断じて許されない行為です。

 

しかし、子どもが靴を脱がなかったり、ちょっとご飯の時間に集中力が切れたりすることくらい、全然大したことではありません。

 

将来のために、お行儀が悪ければ本人が後々困るから・・・

 

この辺のロジックはすべて、大人の都合、我々の都合です。

 

 

自分たちにとって不都合なことだから、怒る。これは最もやってはいけません。(自戒を込めてます・・)

 

 

いなだナウ
ついつい疲れてるときとか

怒っちまうよな・・・

 

 

これは僕の嫁の偉大なところの一つですが、僕の奥さんは普段、子どものこの辺の行為を笑顔で見つめます。

 

無法地帯のようですが、子ども自身が自ら失敗や痛い目に遭遇するので、案外慎重なところも出てきたりもします。おもしろいですよね、基本的に笑顔でやることなすことの経過を見守るスタンスでも、勝手に子どもはこの辺のリスクを理解していきます。

 

つまり、本質的に危ないこと、を自ずと理解していくのです。

 

嫁は、子どもの好奇心や避けられない精神的な成長痛を喜ばしいものとして捉えているようですね。

 

 

スクールオブ俺
本当イイ嫁と結婚したな。

 

 

バブリー
それは俺も納得だわ~

 

 

いなだナウ
お前らも腐るなよ!

 

 

話を戻しますと、子どもには、親の顔色を見たり、忖度するようにはなってほしくないですからね。

 

本当に危険であったり、人を傷つけるようなことではない限り、好奇心や夢中になれることは妨げないようにしています。

 

勿論、ものには限度があります。生活に支障をきたすような集中力(笑)に対しては、先にも述べた、親と子どもで本質を考え抜く方法でしっかり是正もしていきます

 

Advertisement

忖度する子にさせるな。

 

子どもに物事の本質を考え抜く思考を習慣化させること、そして自分自身が怒る前には冷静に「大人の都合かどうか」を判断すること、いずれも実践し始めてみると、子どもが意味もなく反省をしなくなります。

 

これは、一切反省をしない子になる、ということではありません。

 

意味もなく、ということです。

 

とりあえず反省しとけば、反省文を書いておけば、申し訳ない感を出しておけば、といったスタンスはとらなくなります。つまりこれらは表層的ないわゆるポーズであり、親や教師、社会に対しての忖度でしかありません。

 

なぜならば、本当にそれがイケないことなのか、なぜ怒られるのかが分かっていなければ、ポーズをとるしかありません。

 

よくあるのが、

 

親:「○○ちゃん、分かったッ!!?」

子:「・・・・・」

親:「返事は!!?」

子:「・・・・は~い。」

 

これはポーズですよね;;だって、分かってないのですから。

 

それを教えてあげて、一緒に考えるのが親の役割です。

 

 

そう考えると、反省なんてものは人から強要されてするものではないんですよね。そもそも。

 

20番
無論、反省してないやつは十中八九、拘留延長になってるぞ。

 

 

いなだナウ
検察にはバレるんだな;

 

 

スクールオブ俺
やべー生々しすぎっす。;;

 

 

本質的に考えて、自分の行為の失敗や不都合な点が見えてくれば、誰かに言われる前に勝手にスピード反省していきます。さらに、そうして生まれた反省は、確実に次の行為の改善や修正につながる糧となっていきます。たとえ、忖度をしない歯に衣着せぬ、ちょっと生意気な理屈っぽい子になっても、それは褒めたたえるべき成長ですよね。

 

私が経験してきた怠惰や懺悔の経験も、やはりこういうところの欠如だったのかなぁと思います。怒られないようにとか、穏便にとか、そういうThe 忖度フルマインドを養ってしまうと、ビジネスでもうまくいきませんし、結局は塵積なストレスとかでぶっ壊れたりするものです。

 

いいですか、子どもに忖度はさせてはいけない。

 

まとめ

 

僕はこの記事で次のようなことを論じてきました。

 

  1. なぜ、なぜ、を繰り返す
  2. 大人の都合ゼロ基準
  3. 忖度をさせない

 

当然、子どもは各々の性格や生活している環境によって全く違う傾向があり、一概には言い切れませんが、僕が今回話してきた「子どもの反省論」はこれからの時代を生きる我が子世代には必須の要件といっても過言ではありません。

 

目まぐるしいスピードでテクノロジーが進歩し、変化し続ける社会で、既存の政治や行政の仕組み、社会の仕組みが大きく変わりつつある中で、普遍的に変わらないものが、本質を考える力だと言えます。本質が見えれば、行動に迷いがなくなる、迷いがなければ行動量も増える、量が増えれば質も伴ってきます。

 

そして、本質を考えていれば、反省は前向きな反省とあり、決してポーズではなくなります。その先に人の成長は必ずあると、僕は信じています。

 

この先、どんな時代が来ようとも、どんなプラットフォームが影響力を持とうとも、自分の信じた道に向けて、圧倒的に強固な軸で邁進できる人間こそ、次の世界を作ることができるのではないでしょうか。また、そういう人間が作った未来はきっと今よりもワクワクする世の中なんじゃないかなと思います。

 

僕は、自分を鼓舞しつつも、息子にそんな未来を生きてほしいと切に願っているのです。

 

それでは、また。