Profile

 

はじめまして、このブログを運営している、結局、まじめなブロガーのINAOOです。

 

人とは違うことがしたい!!と思い、奇を衒ったり・ひょうきんにみせようとしても・・・

 

結局、まじめなことをしてしまう、そんな家族を愛するしがないパパです。

 

これから長々と自己紹介をします。流し読みOKですので、ご興味ある方はご一読いただければ嬉しいです。

簡単なプロフィール

1987年 茨城県生まれ。18歳で立命館大学に入学し、4年間の京都生活を経て、東京都内で就職。

 

IT社畜として、うつに至るまで消耗し、休職。ほどなくして、逃げるように新卒入社のSIerを退社。失業手当を受給しながら半年近く、実家のある茨城で遊びほうける。

 

改めて何かイケると思い、、懲りずに一部上場のSIerに第二新卒入社。27歳の時に沖縄で最愛の人(今の妻)と出会い、仕事を辞め、そのまま移住。

 

移住後には、目先の収入に目がくらみ、ITベンチャーで社畜カムバック、消耗戦線に復帰。

 

妻の妊娠を機に出産へフルコミットするため、まさかのスピード退社 (6ヶ月)。出産までは、塾講師で食いつなぎ、第一子(男の子)が生まれる。

 

妻・子供への思いを胸に、沖縄県内の広告会社に就職し、プランナーとしてのキャリアを開始。業種的には一番性に合って、初めて仕事にのめり込む。しかし、年収レンジが前職の半分以下となり、日々の生活費がカツカツで追い込まれる状態に。

 

追い込まれた挙句、代行代をケチる + 捕まらないだろうという万死に値する安易さを発揮し、飲酒運転という最低最悪の犯罪に手を染め、人生初の逮捕。2週間の拘留を経て、略式裁判で罰金42万+免許取消を食らう。

 

夫として、父として、会社員として、沖縄暮らし民として完全に詰む。

 

その後、会社と嫁の寛大さに救われ、社会的臨界点より復活を遂げ、現職に復帰。妻と子供を是が非でも幸せにするために再起を狙う、七転び八起きプレイヤー。

 

それが僕です。

 

生い立ち

 

自分を持たない青春時代

結構都会だと思ってます。

茨城県土浦市で生まれ、二人兄弟の末っ子として育ちました。色白で控え目に言ってもかなりかわいかったはず。小学校5年で入部したスポーツ少年団の野球チームでは、メンバー層の薄さから入部早々にレギュラーを獲得します。結果、10歳そこらで「自分はイケる奴」というやっばい自覚症状が芽生えちゃいます。

 

小学6年でチームのキャプテンに就任(メンバー層の薄さ故・・・)。エースで4番に就きますが、ノーコン&ノーコン。練習試合や公式戦で全くストライクが入らない、押し出し王子として同地区でも有名になっちゃいました。

 

中学に入学し、心機一転、兄のやっていたサッカー部に入部しようとしますが、入部申込直前で野球部に変更。理由は単純明快、野球部入部希望者の方が友だちが多かったから。見事なまでの自分のなさ。

 

入部早々に守備力を評価され、セカンドへコンバート。強面の監督の期待がプレッシャーになりすぎて、いつしかノック恐怖症になっちゃいます。なるべくノックを防ごうとあらゆる言い訳を講じ、試合に出なくていいからノックだけはしないと胸に誓い、最終的には、ベンチ脇でひたすら素振り生活を送ります。

 

ひたすら素振りをしつつも、自尊心からか他との違いを見出すために、声出しを誰にも負けないように行ったりもしてました。そんな仮初めのひた向きさが評価され、ノックが怖いのにもかかわらず、3年最後の大会までベンチ入りを果たします。さらに、毎試合の最終打席に代打で出る生活が始まりますが、言うまでもなく、代打で打ったことはありません。

 

その後、高校受験を失敗し、滑り止めだった私立高校に入学します。特別進学クラスへの入学テストも通過できず、結果、滑り止めの中でも下位層のクラスに属することに。滑り止めでも滑るという何とも皮肉たっぷりなハイスクールの滑り出し。

 

入学フェーズで完全にやる気を削がれ、高校1年では部活にも入らず、毎回赤点を獲得。兄の影響でハイスタやゴイステといったジャパニーズパンクを愛聴していたため、音楽性で意気投合した同級生とバンドをはじめちゃいます(ドラム担当)。その後、バンドの練習かライブハウスでのライブ、メンバーの家で麻雀や飲み会をすることの繰り返しという堕落したハイスクールライフを謳歌し、同級生からプー太郎と呼ばれるようになり、次第に周囲も僕をあきらめはじめます。

 

そんなしょうもないハイスクールライフでしたが、一人の女の子に恋をすることで光明が射し始めます。当時彼氏がいる+スペック圧倒的不釣り合いというミラクルアドバンテージの中、意中の女の子に3回告白し、3回目で略奪!!その後大学1回生の夏まで付き合うことになりました。人生で初めて背水の陣の強さ、いや、無敵さを感じたことは言うまでもありません。

 

この彼女にひたすら負けたくない一心で、高校2年から猛勉強し、人並みの学力が身に付く。偏差値だけを追い求め、彼女より少しでも偏差値の高いところを目指し、結果、立命館大学に現役で合格する。その後、彼女とは交際を継続させ、遠距離恋愛という形のまま京都に移住することになります。

 

堕落、堕落、大学

大学は寝るところ。

 

大学時代はもう堕落の極みでした。毎晩酒を呑み、バイトは面倒になったら無断でブッち、朝方に寝始めて夕方起きるという、大学生でありながら引きこもりのような生活を送っていました。そんなつま弾きピーポーたちで交換日記サークルを運営してしまうほど、狂ったキャンパスライフでした。

 

仕送りを実家の両親からもらっているにもかかわらず、そのほとんどを飲み代に費やし、家賃を払えず、大家さんにピンポンごり押しされてました。あの時の連打音は忘れない。飲んだ後の朝方、家に帰る時には足音と気配を殺し、息をひそめるeveryday。このとき、生まれて初めて空腹は辛いことだと痛感し、仕送りの日までごま塩を舐めることで凌ぐ術を学んだことは僕のサバイバル力を少し高めてくれました。

 

ちなみに、高校時代から付き合っていた彼女とは毎日電話(当時はウィルコムで)をすることを習慣化していたものの、毎日どんちゃん騒ぎで飲み会をしているため、終いには彼女からも愛想をつかされ、僕の人生の名言3本指に入る、「○○と一緒にいる、先が見えない」という別れ文句を放たれます。

 

彼女と別れてからは、抜け殻。就活もろくにせず、思い出せないくらい薄味で堕落した生活の始まりです。

 

就職氷河期もあり、ESで大量に撃沈し、お祈りラッシュを経験する。SPI対策もせずに運任せの就職活動をし、何とか1社、某SIerの子会社から内定を得ます。

 

今考えれば将来のビジョンなんて全く皆無のtooいい加減な就職活動で、内定がもらえただけまし、本当無計画な就職活動でした。

 

時代のせいなんかにしていましたけど、しっかり大学の同期は大手企業から内定もらってましたww

 

結局、自分次第ということ。そんな社会の現実を目の当たりにしたところで大学を卒業します。

 

心がぶっ壊れる新社会人時代

夢やビジョンもないまま、ただ流されるままに就職をし、社畜フラグである、会社寮に入寮。会社は西新宿にあったにもかかわらず、寮がまさかの唐木田(東京の隅っこ)にあり、片道1時間弱という寮のメリットを1ミリも感じられない悪環境での生活をスタートさせます。

 

新卒入社した会社はSIerでしたが、僕が配属されたのは営業部。営業として毎日テレアポとか飛び込みに勤しむ。ちなみに新規受注はエアカン(キーボードの間を掃除するやつ)6本。売上にして1万円くらいでした。(SIer・・・ですよ?)

 

自分の存在意義をなんとか作るために、成果がどうしても欲しくて、ただがむしゃらに仕事をこなす毎日。がむしゃらに新規客先に飛び込み、がむしゃらに提案書を書き、がむしゃらに、がむしゃらに、がむしゃらに・・・・という具合に無計画なバカ丸出し営業になり果てる。それでも報われると思っていました。

 

もう、宴会もがむしゃらです。左が著者。

 

仕事以外では、ほぼ毎日歌舞伎町や寮の自室で飲み倒す日々。帰宅できるときは、平日は夜中1時くらいに帰宅して、空いているラーメン屋でチャーシュー麺とチャーシュー丼をかっ食らうルーティンで、見事に人生最大級に太っていました。

 

もう飲んでる写真しかなかったです。

 

当時を思い出そうとカメラロールを探しましたが、この2枚しか写真が残っておらず、いかにプライベートに生気がなかったかが伺えます。

 

また、歌舞伎町で夜の楽しみに味をしめ、最終的には町田のメンヘラデリヘル嬢と付き合ったりしていました。今となっては、町田のラブホで、謎に激昂され、クッションをぶん投げられたのもいい思い出です。

 

徐々にその日の終電で帰れなくなったり、近くのビジネスホテルに泊まるような生活を送るにつれ、精神を病んでいき、次第に朝起きれなくなったり、カラアポを入れて朝寝てるような毎日を送り始めます!当時の上司に、「当日直行なんて10年はえーよ」って言われて、その時は「うっせーじじいっ」と思ってましたが、ホント、なにやってんだよって話ですね。また、このときはもう末期症状で、日曜日の夜に渋谷に行ってフラフラするという奇行を成し遂げます。

 

あとはお決まりのコースで、会社行かなくなる→うつ診断書もらう。→休職→退職という花道を行き、合計で1年6カ月間という短いこの会社での人生を終えます。

 

で、退職と同時に寮を出て、茨城の実家に帰ります。

 

何かが外れた、第二新卒時代

茨城に戻ってからは、基本手当(失業手当)をもらいながら、地元の繁華街で豪遊します。

 

北関東最大級の歓楽街。この寂れ具合に夢中でした。

 

ほぼ毎日地元の友だちと合流して桜町に繰り出す。という毎日でした。日中はyoutubeとかでドラマを観て過ごし、部屋の灰皿をモリモリにしていました。キャバと動画とタバコと私。

 

当時は、桜町にあるキャバ嬢、「さくら」ちゃんに入れ込んでました。結局コンバージョンすることもなく、基本手当だけを使い倒した日々でした。

 

そんなこんなで堕落したニート生活を半年過ごし、「おら、そろそろやっぞぉ!」てな具合に転職活動を開始します。

 

このときは、新卒時とは打って変わり、かなりの確率で選考が進み、“何かイケる”と思っちゃってました。

 

結局、社会保険の恩恵を受けていたクズ人間がまぐれで東証一部上場企業に転職を果たします。

 

しかも、懲りずにSIerに就職しました。

 

しかし、2社目に関しては、1社目よりも大企業でかつ年収も大幅に上がったこともあり、いろんな意味でここで弾け始めます。転職先では、茨城のつくば支店への配属となり、本社待遇で地方勤務というまさに理想的な待遇を手に入れました。

 

経済力をつけた元クズは、これ見よがしにウィークリーで合コン、時々、pay(有料サービス)を繰り返す日々でした。当時は合コンのことを、「Fes(フェス)」と呼んでました。やまとなでしこな気分や。

 

このときは、薬局勤務の女、看護師の女、元アイドルの女(かなりメジャーグループでした)、バーの女、クラブでナンパした女・・などなど色んな人とお付き合いさせていただきました。もはや最後の方に羅列した女性については、ラブホに置いて帰ってくることも多々ありました。僕、家以外だと熟睡できない体質なんです。

 

若い、ですね。左が著者。

 

 

目腫れてるけど、自信に満ちた顔してやがる。左が著者

 

そんなこんなで遊び疲れしている頃に、仕事でも結構なちょんぼをし始めます。役員承認なしの億越え入札、保守未発注による保守対応できないラッシュ。etc・・・。おかげで顛末書や報告書なんてもんはもう慣れっこになりました。

 

会社に怒られつつも、一方で案件数は誰よりもこなそうと奔走し、2年目には年間達成率220%達成、支店ナンバー1の売上を上げる営業として、コンスタントに結果が出せるようになってました。インセンティブももらって、いろんな意味でバグっていましたね。

 

そんな感じで、つくばでも消耗していたところ、沖縄に住んでいる幼馴染を訪ねてG.W.に沖縄に行った際に、初日に運命の人と出会います。

 

それが、今の妻です。

 

もうなんか、すべてがうまいことハマる感じでしたね、波長が合う?呼吸が合う?なんとも形容しがたいのですが、とても心地よい人。

 

今まで感じたことがないくらい、誠実に対応しないといけないという使命感に駆られ、それまでが嘘だったかのように、これまでの雑で無慈悲な異性交流を断ちました。飲んだ後に誰彼構わず女の子に電話するのもこの辺から辞めました。そしてここから、毎月1回は沖縄に行くという遠距離恋愛を始めます。

 

金曜日の夜に飛行機に乗り、日曜日の最終便で関東へ帰る、こんなドラマティックな恋愛をしていました。

 

先に述べた通り、学生時代の遠距離恋愛の淡い思い出があるので、社会人パワーと財力をフル活用して沖縄に通い、そして通う、といった日々でした。最終的には彼女を失うことが怖く、仕事どころではなくなり、沖縄で転職先をパパっとSkype面接で決めて、移住を決意します。

 

さよなら、つくば。

 

つくば時代はは会社の同僚や先輩に本当に恵まれました。ここだけは辞めるときにつらかったです。

 

結婚、長男誕生。

沖縄に移住してからはITベンチャーで主にweb制作のプロデューサーをしていました。これまで全く経験のない分野でしたし、どベンチャーということもあり激務でしたが、一番大切な人と暮らしている喜びも相まって、何とか続けていました。また、沖縄って基本的に給料が激安なんですが、この会社は元々県外の人が起業した会社だったため、給与水準も県内平均からすればとても高く、経済的にも移住前と遜色のない生活を送ることができました。

 

沖縄での仕事にも慣れてきて、仕事面でも同社史上最速で昇格することもでき、なんとか沖縄での生活が定着し始めたころ、妻が妊娠したことが分かります。これで晴れて、正式に結婚することになりました。

 

プロポーズは宮古島でした。

 

やがて、子供が生まれるまでは全力で妻をサポートしたい、妻と二人で万全の布陣で出産に挑み、生まれ来る子供を迎え入れたいと強く思うようになります。そのため、会社の仕事も程ほどに、妻がつわりなどで体調が悪いときはすぐに帰ってきて傍にいるように心がけていました。

 

結局、会社の方針やスタンスと僕のこういった考え方が相いれない部分が大きくなってきて、「あ、この会社だと家族ファーストができないな。」と思い立ち、これまた会社を辞めました。(なんで辞めんだよ;)辞めてからは、塾講師のアルバイトをしながら、極力、妻の身の回りのサポートをし、検診なども同行していました。

 

その後、長男が無事に生まれ、茨城や京都、東京でクズ中のクズだった僕もとうとう父親になりました。

 

 

クズの目にも涙。人生最良の日でした。

 

子供も生まれて、経済的な理由やこれから本当にやっていきたいことって何かな?って考えてみて、改めて定職(現職の広告会社)に就くことになりました。

 

逮捕されて完全に詰む。

 

一家の大黒柱として走り始めて1年が経った頃、人生最大級に人として最低なことをしでかします。それが、飲酒運転。

 

言い訳はしません。する資格もありません。一重に、自分の考え方の甘さや流されやすい、中途半端な精神が起こした事態でした。

 

これまでの生き方や生活を振り返れば、その可能性を彷彿とさせる要素は少なからず介在していて、怠惰な生活や無責任の集大成としてこういった行動を起こしてしまいました。

 

拘留中に留置所でこれまでの自分の甘さなどと向き合い、再発防止のために酒を断つことも決意しました。尚、不幸中の幸いで、人身事故等はありませんでしたが、2週間にも及ぶ留置所での拘留と略式裁判で罰金42万円、運転免許取消、これが私に言い渡された罰でした。

 

当然のことながら妻にも愛想をつかされ、会社からは懲戒解雇されることを覚悟していました。

 

しかし、面会謝絶の解除となった日から面会に来てくれた妻、早々に様子を見に訪れてきてくれた会社の上司、僕は奇跡的にも家族と会社に救われ、チャンスをもらうことができました。

 

正直言って、家族も会社も失ってもしょうがないことをしたと思っています。それは今も変わりません。しかし、再起を図るチャンスをいただけたことを感謝し、自分の罪を胸に刻みつつ今を生きています。

 

最後に

 

ここまで僕の人生を共に振り返っていただきありがとうございます。

 

僕はこれまで会社員として心を摩耗したり、違法行為をした時にも、社会保険や労働関連法に救われました。一方で、通勤や営業、社内の人間関係などなど会社のシステム(仕組み)で悩まされることも多く、一時精神的にも肉体的にも限界を迎えました。

 

こういった経験から、今は、社会保険労務士を目指しています。

 

手続き業務代行ではなく、社会保険や労働関連法規の専門家としてたくさんの会社員の方の“生きやすい世の中”を作っていきたいと思っています。勿論、これまでSIerにいた経験や、ベンチャー、広告・マーケティングといった経験を活かし、社労士でありながらも、そういった領域から派生して新しいサービスも作っていきたいと考えています。

 

このようにビジョンと目標を持てたのも、様々な失敗をしてきたからです。

 

勿論、今後完全に罪を償い切ることはないと思いますが、この経験や失ったものを前向きな力に変えていきたいと考えています。これからこのブログを通して、様々な人や社会に恩返しができたら、と思っています。

 

今後とも、よろしくお願いします。