沖縄県民が県外出身者に優しかったという事実と先入観の話

沖縄県民が県外出身者に優しかったという事実と先入観の話

 

どうもこんにちわ、INAZOOです。

 

アメリカ軍基地の辺野古移設に関わる県民投票を終え、日本中の注目がここ『沖縄』に集まる中、県外出身者であり沖縄に移住して4年目を迎えている私が、この件について思うことを論じていきます。

 

結論から言うと、この件について「どっちが正解」だとか「こうあるべきだ」という意見を述べる気はありません。言うまでもなく、それは個々人が沖縄の事を考えて選択することであり、何人たりともそれを強制することはできないし、あるいは誰かの影響を受けるべきでもないと考えているからです。そのため、ここ数日「反対に〇!」という張り紙やのぼりが街中に掲げられている様を目にし、正直気持ち悪かったし反吐が出ました。自分で選ばせろや、強制すなと感じたことは言うまでもありません。

 

ここで一点補足ですが、選択を強制して、県民間で起こす同調圧力のようなものが気持ち悪いのであって、個々人の判断(反対派)を否定するものでは決してありません。重複しますが、その選択は自由ですし、迷いに迷い、どちらでもないという中立的な選択をしたにせよそれは自由だということです。

 

さて、今回の本題ですが・・・正直、県民投票に関する一連の流れを県外から眺めている人からすれば、「沖縄、駄々こねてる」とも映りませんでしたか。また、ここまで法的拘束力のない事に対して県を挙げて取り組むこと自体が不毛なのではないか、そもそも、この投票がどういった意味を持つのであろうかという懐疑的な気持ち、これらは沖縄の外から見ている人からすれば多分にあったと思います。

 

勿論、県外からも沖縄県民と同じように基地のあり方やその負担を考えている人もにいらっしゃると思いますが、県外出身者からすればある種の茶番にも似た今回の件を通して、少し沖縄を嫌いになったりしていませんか?

 

気のせいならいいのですが、少々ヒートアップし過ぎた沖縄、人によっては孤立して駄々をこねているようにも見えるかなと思い、県外出身者でありながら沖縄の妻と結婚し、移住してきた私なりの解釈を織り交ぜながら、私が感じた沖縄県民による県外出身者への見方・対応について「ナイチャー ※1」目線で論じていきます。

 

※1.ナイチャーとは、沖縄県民が本土(県外)出身者を自身達ウチナーンチュと対比してカテゴライズする際に使う表現であり、子供から大人、老人まで沖縄県民における常用表現である。

 

 

この考察から導き出したい結論としては、決して沖縄県民は本土の人を忌み嫌っているのではなく、むしろ優しいということをお伝えし、今回の県民投票やそれに纏わる政府への抗議や駄々をこねているような様子も、決してナイチャーに向けて送っているメッセージではないということ、この点を強調したいと考えています。

 

基地をはじめとした沖縄の政治的な議論をする際に、ついついその血脈にまで議論が飛び火することがしばしばありますが、この問題は沖縄出身者だから、県外出身者だからという枠組みで考えると話がややこしくもなり、本筋から逸れがちです。そのため、個々人の自由な判断を尊重するという立場を担保しつつも、要らぬ先入観等を払拭したいというを目的があります。

 

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県外出身者が抱く先入観

 

沖縄県民に対する先入観は大きく二つあるのではないでしょうか。一つは「皆、基地反対、米軍嫌い」という民意。もう一つは「ナイチャーはよそ者」という決めつけスタンス。

 

この二つの内、一つ目の「皆、基地反対、米軍嫌い」については旅行時の県外出身者や沖縄好き県外出身者が抱きがちな沖縄県民の憶測上の民意です。そしてもう一方の「ナイチャーはよそ者」というスタンスについては、実際に“沖縄で”沖縄の人(特に50代以降の中高年層)とコミュニケーションを取った場合や、移住後に沖縄で1、2年間くらい働いた際に感じる県外出身者の感想・疎外感からくるものでしょう。

 

沖縄県民が皆、
基地反対という先入観

一つずつ見ていきます。

 

まずは、沖縄県民が皆基地に反対していて、米軍が嫌いという民意についてですが、これは完全に先入観だということに気づかされます。それは先の県民投票でも言えることですが、投票率52.48%に対し、約72%が移設反対という結果からもうかがえます。この結果からそのほとんどが移設に反対していることは紛れもない事実ですが、少なからずジレンマを抱えている人や、よくよく考えても決めきれないという人、経済や日本国全体としての差し引きで考えて移設賛成を唱える人等がいるということですね。

 

恐らくそういったジレンマを抱えている層、そもそも基地移設に賛成といった層については、投票者の残り28%の人間と、投票をしなかった残り約48%の有権者の中に介在しています。むしろ、ここまで話題になっていた県民投票に行かなかった人は、自己都合ややむを得ない事由を除いても、相当の人がその判断に迷った層、あるいは、投票しても意味がないと判断した人ではないでしょうか。

 

つまり、基地移設について判断がつかない、あるいはジレンマを抱えている人の数が実に多いということです。投票者の中での割合で言えば、72%かもしれませんが、有権者全体で見ると、何とも歯切れの悪い、県民全体の総意とは言い難い結果とも思えます。

 

県民投票に限らず、普段から沖縄県出身の人(特に40歳くらいまでの若年層)との話の中では、決して米軍や基地への徹底的な憎悪といった意見が全てという訳ではありません。当然歴史が風化しているというのも事実でしょうが、それ以上にこれからのことや、貧困の代名詞となっている沖縄の雇用等に対する問題意識の方が大きいというのが若者の実態のようにも思えます。つまり、過去のこと以上にこれからの自分たちにとって、基地が必要なのか(安全保障的な面と経済的な面を含む)、アメリカ人が身近にいることのメリットは何か、ということに意識が向かっているのを感じます。

 

文化的な側面で見ても、沖縄には「アメ女」と呼ばれる、軍人との出会いを求めてそういったファッションに身を包み、軍人が出没するエリアを意図的に歩く女性も多くいます。これは決して不純な行為というわけではなく、純粋にアメリカ人の方が好みという個人の趣向によってなされる行為であり、今の若い子たちの間に昔の人間が抱くような、非植民地的な男女の関係や交際といった発想は感じられません。

 

つまり、自分の選択によってアメリカとも付き合っていて、それは必ずしもネガティブなものばかりではなく、自分たちしか享受できないメリットと捉えている沖縄県民も多くいるということです。マクドナルドや天下一品に行けば、日常的に外国人がいる、公園や海に出かければ日常的に外国人がいる風景、これは決してネガティブなわけではなく、語学や海外的思考におけるポジティブな効果も大いに孕んでいます。

 

勿論、悲しい過去からそんなポジティブに見れないこともあると思います。未だにYナンバーによる飲酒運転や事故、強姦等の痛ましい事件は起きています。しかし、そんな事件がある中でも、100%が米軍や基地をネガティブに捉えていないというも事実です。考えてみれば、この手の事件は決して沖縄に限った話ではないですよね。東京をはじめ沖縄よりも人口の多い都市では、もっと頻発している事件です。その行為者がアメリカ人なのか日本人なのかの違いであって、事件は起きているということです。

 

話が飛躍しましたが、沖縄県民は全員が基地を憎み、米軍を嫌っているわけではありません。むしろ、次の時代に向けてどう共存していくのかを模索しているのが今の若者です。

 

沖縄県民が皆、
ナイチャーを嫌っているという先入観

次に二つ目の先入観、「ナイチャーはよそ者」というスタンスですが、これは浅めに沖縄県民と絡んでいると結構感じがちな先入観です。

 

先述しましたが、実際に“沖縄で”沖縄の人(特に50代以降の中高年層)とコミュニケーションを取った場合や、移住後に沖縄で1、2年間くらい働いた際に感じる県外出身者の感想・疎外感からくるものがそのほとんどです。

 

言い換えるならば、「ナイチャーに対して警戒心がある」という表現が近いかもしれません。要は、得体のしれない相手に対して取り敢えず最初は防衛本能からくる敵対心を表に出すようなものです。具体的には、同じグループで固まり、得体の知れない相手(≒ナイチャー)に皆で石を投げる、また、自分たちにしか分からない方言で優位性を確認するといった行動全般に代表されますが、これらの行動はいずれも、嫌いから来るのではなく、警戒心から来るものです。

 

そして、移住後1年か2年そこらで本土に戻ってしまう人の特徴は、この警戒心を解くことができなかった人あるいは見誤った人です。つまり、嫌われていないのに嫌われていて、馴染めないと判断してしまったがために、沖縄県民は皆「ナイチャーはよそ者」と思ってしまい、その固定概念を拭えず、一生は住めないと認定⇒本土へ戻るというルートを辿ったケースです。

 

実は私は今でも、この疎外感を感じることがあります。しかも、それは結婚した妻の家族の発言等からもそう感じてしまう程です。勿論、妻はそういった発言をするタイプでもなく、気持ちがいいくらいフラットで警戒心がないので心配はありませんが、時より親戚からこの警戒心にも似た疎外を受けることがあります。

 

その度にそこそこ居心地が悪くなり、悩んだ時期もありましたが、やはり警戒心からきているということが分かると、全く気にならなくなりました。

 

時間を掛ければ、その分だけコミュニケーションを重ね、警戒心を解くことが可能ですが、そもそも警戒心がない私の妻のようなタイプは実は若者を中心に非常に多くなってきています。また、一度沖縄を出た人や、意識として県外に出ていこうとしている人であればそういった警戒心はほとんどありません。

 

これは、県外出身者だけではなく、現在の50代以上の沖縄県民が抱いているナイチャーへの先入観が原因だと言えます。そして、若年層の沖縄県民はそんな先入観すら自身の足かせになっていて、ナンセンスな概念だと捉え始めているというのが実態です。移住して自分と同じくらいの年齢層の人間と接しているとつくづく感じるのが、沖縄県民自体が、この先入観をダサいと感じているということです。

 

先の基地に対するスタンスと同様に、ナイチャーに対しての反応も時代と共に変化しているということですね。むしろ、未だに「ナイチャーは○○だ」といったロジックを展開している人をダサいと捉えているのが、今の沖縄県民の若者であり、自身達の親世代たる50代以上の沖縄県民の思想からの脱却が命題になりつつもあります。

 

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実は、年配層の沖縄県民も優しい

 

では、これらの先入観に関する問題や根本的な原因は50代以降の沖縄県民にあるのか?

 

実は私も、最初の内はこの点が原因なのでは?と思っていました。たまたまでしょうが、私が沖縄で仕事をしている中で、50代以上の沖縄しか知らないビジネスマン(・・・ビジネスマンとも呼べない代物)を見ていると、こういった人たちが沖縄の癌であり、いつまでも消えない本土との見えない隔たりを生んでいると断定していました。

 

しかし、ここ最近、ある市町村が開催している観光協会発足に関するワークショップに参加した際に、その考え方は飛んでいきました。

 

結論から言うと、年齢は関係ありませんでした。むしろ、真っ白な髭を蓄えた仙人のような方でさえ、自分たちの沖縄の課題点を実にフラットに捉えていました。しかも、私が参加したワークショップは、正に「基地」のある市町村における観光協会発足に関するものでした。

 

そんな基地と共に生きてきた方々は、私のようなどっからどう見ても県外出身者であるよそ者を一切敵対視していませんでした。むしろ、優しく、自分たちの考えていることを包み隠さず、実に気持ちよく語ってくれました。

 

これは沖縄県民の50歳以上に共通して言えることですが、知りたい、教えて欲しいという意思を示すと実に丁寧に、むしろ過度に色々なことを話してくれるのが沖縄県民の素敵なところの一つです。

 

また、今回は観光についてのワークショップでしたが、彼らが口をそろえて言うのが、「来て欲しいけど、来てほしくない」という思いでした。それは、何か歴史や県外出身者が持っている先入観等に対して控え目になっている部分、仲良くしたいけど仲良くできる体制が整っていない・・・といったジレンマを感じました。

 

このように実際に基地と共に生きてきて、歴史の中で県外出身者とのわだかまりも多分にあったであろう、50代以上の沖縄県民と膝を突き合わせてじっくり話してみた結果見えてきた答えがあります。

 

それは、警戒心を嫌悪と捉えず、ゆっくり紐解くように理解し合う、そんな関係が必要なのだということ。沖縄県民は県外出身者を嫌ってなどいないのです。基地問題と県外出身者への思いは全く別の領域であり、自分たちが辿った過去や漫然と存在していた先入観を、うまく解くことができず、一歩を踏み出すことができないだけなのです。だから、間違っても本土の人間が沖縄に基地負担を押し付けている等とは考えていないのです。(勿論、一部はいるでしょうが・・・)

 

私は、そんな沖縄県民や、沖縄、そして家族をとても愛おしく思っており、これからもおこの土地の人達の幸せをどう一緒に築いていけるかを考え続けて生きていこうと思っています。

 

それでは、また。